物欲から解放されたら悲劇の連続だった?

人のモノへの執着はいつから始まったのだろう。動物と人の大きな違いはモノを使えるかどうかだ。人は道具を使うことによって生物界でトップに君臨することができ、知能の発達を遂げ、地球全体を支配しうる存在に成り上がった。人間はたしかにすごい。でも昨今、人間がモノに支配されだしているのではないかと思う。一発で何万人の命を奪う武器を利用した悲惨な戦争が人間の間で行われているのを見ていると、道具の誤った利用をしてしまっているのではないかと思わざるをえない。モノは産業革命以後急速に生産された。文明の発展にはモノの生産が欠かせなかったのだが、利益を先に考え、人間にとって不必要なモノまで大量生産されてきたのではないか。例えば、人間の発明品の一つに電池がある。電池は使えなくなったら買い換えられ、不要になった電池は捨てられるが、そもそも今の科学技術では、電池の寿命を、買い換えが不要なくらいに伸ばすことは容易である。電池を例にとったが、このような例は枚挙にいとまがない。企業の利益を増やすために、ゴミは増え続けているのである。地球の資源は有限だ。この限りない大切な資源を、企業の利益優先なモノの生産による略奪からどう守っていけばいいのか。自然を守る活動は昨今各所で見られる。それらの団体に貢献するのもいいだろう。一番大事なことは、一人一人が資源を大切にして日々生活することだ。モノの所有欲を完全に排除しろとは言わない。でも今この世の中のトレンドで、モノを所有することがかっこいいことなのかをもう一度自分に問いかけてもらいたい。30年前の日本はバブル絶頂期だった。当時は大量消費社会で、高級車を乗り回し、高級時計を腕にまき、高層マンションで美女と戯れることが男にとってある種のステータスだった。消費してなんぼというか、そんな感覚が人々に植えつけられていたと思う。そしてそれが20世紀の価値観だった。21世紀になり日本人は様々な痛い経験をした。最近でいうと東日本大震災がそれだ。この出来事は、定住することがリスクになりうるという、20世紀の価値観を根本から覆した。移動しながら生活していく。ゲルマン民族のような生活がこれからのスタンダードになっていくだろう。だからこそ、モノの所有は最低限にしなければならないし、少なくとも日本では一戸建てを所有する時代ではなくなってきたのかもしれない。そんな時代だから、書店では部屋の片付け系の本がとぶように売れている。そして最近流行しているのがミニマリストだ。ミニマリストの考えは2010年頃アメリカで流行しだした。ミニマリストの定義は色々らしいが、要は自分の持ち物をできるだけ断捨離して、心に余裕をもたせてあげて、そうすることによって新しいひらめきやアイディアが発見できるということ。20世紀にはこのような内容の言葉は浸透しなかっただろう。21世紀型の新しい生き方なのだ。自分は元からモノへの執着がそんなに無いほうだったが、期間限定の安い商品を見ると、買いたいという衝動に駆られてしまうことがいくらかあった。でもミニマリストの考えを知り、部屋のありとあらゆるモノを無くしてみて、もっとスペースを確保したい!もっとモノを減らしたい!という一種の禁断症状に陥った。遂にはiphoneまで持っているのがうっとうしくなり売ってしまった。身内の人たちは電話さえ売ってしまう自分を心配そうに見るが、自分自身は最高に幸せの境地にいる。電話が他人からかかってこないことがどれだけストレスフリーなのかは、実際に携帯を売ってみないとわからない。他人の目には、バックパック一つ分の持ち物しか持っていない自分が、かわいそうなやつとして映るだろう。でもこうして所有物を無くすと、自分が人生のうちに本能的にやりたいことが見えてきて、他人の目など一切気にしなくなるから不思議だ。そして一番の恩恵は、無駄な欲望が失せたことだ。人間には様々な欲があると思う。金銭欲、権力欲、性欲、食欲、睡眠欲、、、。これらの欲を満たすことは、必ずしも自分の幸福度とは比例しない可能性がある。例えば性欲でいうと、風俗で買った女性と一夜を共にしても、それは結局お金で買った女性だということを知ると、性欲は満たされても、心は満たされないだろう。このような無駄な欲は自分を苦しめるだけである。そしてそれが完全に無くなった。自尊心が良い意味で薄れたので、他の多くの人が価値を見出すような、家を所有することや、車を持つことという欲も失せた。でも全ての欲が減退したかと言えばそうでもない。移動しながら、世界の自然を見てまわりたいという欲求や、あらゆるスポーツをしてみたいという欲求、健康でありたいという欲求、つまりは俗語的に言うと、自分磨きのようなことにはいくら投資してもいいという考えはさらに増した。結局モノに頼らないということは、自分の身体一つで生きていくことなので、もっと色んな意味で一個体として強くありたいという生物の本能的なところに行き着くのだろう。今まで自分の中にあふれていた欲求は、社会の、それも今まで過ごしてきた小さなコミュニティーの中で形成されたものだ。消費を促す古い社会の考えに自分は染まりそうになっていた。世界中で個人個人がモノを減らす方向にいけば、戦争で使用する武器を持つことのいかにカッコ悪いかがわかってくるだろう。その調子で戦争が無くなっていけばそれほど幸いなことはないのだが。まあまだそこまでの変革が起こる時代にはなっていない。人間は一回リセットボタンを押すべきではないかと思う。もう一回自分たちが所有してるモノに疑問を持ってみて、本当に必要なモノだけで生活する。そうして始めて、世界の深刻な問題に向き合って行けるのではないかと思う今日この頃だ。